藤波辰爾 の退職功労金支払い問題を時系列にまとめてみる
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一般紙でも大きく報道された藤波辰爾による新日本提訴。
昨日のニッカンスポーツに、訴えるまでの経緯などが載りました。それを参考に、無我ワールド旗揚げなどを含めた新日本プロレスの歴史と共に、時系列でまとめてみたいと思います。
藤波さんが退団としたときにいろいろトラブったことが大きいのでしょう。
藤波・西村らが中心となってクーデターを計画していたとの噂もあった。・・・噂というか、ほぼ事実。
高い金出して買った団体を潰されそうになったとすれば、ユークスが頭に来て「退職金などやるな!」と怒る気持ちも分かります。
それが一般社会で通用するのかは分かりませんが・・・。
新日本とドラディションの関係がよくなり始めた6月に訴えるというのもどうかと思いますが・・・関係がよくなったからこそ、藤波側が「あの時の退職金、今からでも払ってよ」と交渉?に出て、断られた&話がこじれて、藤波側が逆ギレ提訴・・・そんな流れか。
新日本・藤波側で以下の部分が食い違っている。
この部分を裁判ではっきりさせることになるんでしょう。
何にしてもイメージはあまり良くないですな。
なお、新日本とドラディションの交流は継続されるようですが、藤波辰爾・個人の参戦はしばらくなくなりそうです。
昨日のニッカンスポーツに、訴えるまでの経緯などが載りました。それを参考に、無我ワールド旗揚げなどを含めた新日本プロレスの歴史と共に、時系列でまとめてみたいと思います。
6月2日に提訴
ニッカンスポーツが詳しく報じています。
2006年3月 取締役会で慰労金制度の廃止が決定したが、藤波には特例として総額約5000万円の退職功労金を支払うことに。
2005年11月 ユークスが新日本プロレスを子会社化。
2006年1月~2月 西村修、田中リングアナら退団・退社。
2006年3月 藤波辰爾の個人事務所「シーホースコーポレーション」が「ワールドプロレスリング」を商標登録。
2006年6月 藤波辰爾、新日本プロレス退団。
2006年6月 無我ワールド・プロレスリングが旗揚げを発表。
2007年3月 サイモン・ケリー猪木社長が辞任。菅林直樹が後任として社長に就任
2007年4月 新日本プロレス株主総会:ユークスの反対で藤波への退職功労金支払いを否決。
2007年10月 西村修、征矢学が無我ワールドを離脱。
2008年1月 「無我ワールド」が「ドラディション」に団体名変更。
2008年1月4日 藤波辰爾が退団以来初めて新日本プロレスのリングに上がる。
2008年6月2日 藤波辰爾が新日本プロレスを提訴。
2008年6月27日 PREMIUM・後楽園ホール大会に藤波参戦。
→提訴されたのに藤波を出場させた理由として新日本は「もうギャラを払っていたから」と説明(デイリー)
2008年7月10日 新日本提訴の問題が報道される。
2008年7月15日 代理人による第1回口頭弁論。
藤波さんが退団としたときにいろいろトラブったことが大きいのでしょう。
藤波・西村らが中心となってクーデターを計画していたとの噂もあった。・・・噂というか、ほぼ事実。
高い金出して買った団体を潰されそうになったとすれば、ユークスが頭に来て「退職金などやるな!」と怒る気持ちも分かります。
それが一般社会で通用するのかは分かりませんが・・・。
新日本とドラディションの関係がよくなり始めた6月に訴えるというのもどうかと思いますが・・・関係がよくなったからこそ、藤波側が「あの時の退職金、今からでも払ってよ」と交渉?に出て、断られた&話がこじれて、藤波側が逆ギレ提訴・・・そんな流れか。
新日本・藤波側で以下の部分が食い違っている。
07年4月の株主総会で退職功労金支払いが否決となった理由
新日本側 「将来にわたり経営に協力することが前提だった」
→ 藤波側 「贈呈に条件はついていない」
この部分を裁判ではっきりさせることになるんでしょう。
何にしてもイメージはあまり良くないですな。
なお、新日本とドラディションの交流は継続されるようですが、藤波辰爾・個人の参戦はしばらくなくなりそうです。
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