能登半島地震、輪島大志& 馳浩 はその時・・・
(03/27 いろいろ)
▼25日午前9時42分ごろ▼
震度6強を観測した「能登半島地震」、石川県・富山県ではかなりの被害が出ている。
@「能登半島地震」と命名、空港再開し医師ら避難所巡回 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
@能登地方で震度6強、1人死亡・191人重軽傷 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
読売新聞の26日午後0時30分現在のまとめでは、輪島市で女性1人が死亡、石川、富山、新潟の3県で重傷者24人、軽傷者172人、全壊家屋が81棟、半壊家屋が187棟に上っている。総務省消防庁によると、2627人が避難所で夜を過ごし午前10時現在で石川県内の公民館など38か所に、計2232人が避難している。
また、気象庁によると、26日午前7時15分ごろ、マグニチュード5・3の余震が発生し、輪島市のほか七尾市、志賀町、穴水町で震度4を観測した。震度4以上を観測した余震は、これで4回目。午後1時現在、余震は192回となった。
現在も余震が続き、今頃避難所で不安な夜を過ごしている方も多いのでは。
七尾市出身の輪島さんはその時・・・。
スポーツ報知より。
七尾出身、輪島さん「黄金の左」で故郷手助けを…能登沖地震:社会:スポーツ報知
七尾市出身で元大相撲横綱の輪島博さん(59)はこの日、東京都内で知人の結婚式に出席していた。ニュース速報で地元の被災を知り、何度も七尾市の実家に電話したがつながらず、夕方になってようやく母・乙女さん(84)の無事が確認できたという。
「家は倒れはしなかったが、家の中はむちゃくちゃに散乱しているようだ。とにかく、お袋の元気な声を聞くことができて安心しました」と胸をなで下ろした。
<略>
七尾市で生まれた輪島さん。大相撲入りしてからも北陸巡業で土俵入りを披露している。プロレス国内デビュー戦となった86年11月1日の対タイガー・ジェット・シン戦も七尾総合市民体育館で行うなど、故郷への思いは強い。現在でも能登半島と石川県の観光親善大使を務めている。
「お袋と会って元気づけてあげたいし、親せきも友人もたくさんいる。被害状況を確認するだけでなく、大使として何か地元のお役に立つことができれば」とスケジュールを調整して一両日中にも帰郷。“黄金の左”が故郷の復興にひと役買うつもりだ。
ぜひ元気づけてあげてほしいものです。師匠の馬場さんが神戸の地震で被災者に声をかけてまわったのは有名な話です。
ジャイアント馬場 追悼記2
▼馳浩先生は・・・▼
石川県と言えばもう一人。馳浩さんは地震があったその時、石川県にいた。
Yahoo!ブログ - 衆議院議員 馳浩の赤じゅうたん雑記
終了後、新聞チェックしながら加賀市へ。
スポーツセンターにて、石川県空手道選手権開会式。
その開会式の後、来賓席に座って子どもたちの試合を観戦していたそのとき。
徐々に座っているパイプ椅子が揺れてきた。
「あれ、子どもたちの勢いで体育館が揺れているのかな?」
とおもった次の瞬間、ゴゴゴゴォォォーーー、という不気味な低音とともに体育館が不規則に揺れる。
「え、地震かよ、この石川県で、こんなに揺れる地震は初めてだぞ!」
と、びっくりしてテーブルをおさえる。
おさえながら天井を見る。
まさか天井が崩れて落ちてきやしないだろうなと、気が気でない。
時計を見ると午前9時42分。
ずいぶんと長い時間が立ったようではあるが、もしかしたら10秒ほどかもしれない。
横揺れが収まってきたところで、地震ニュースを携帯でチェック。
物の数分で発信されている。
「能登輪島沖で、震度6.9」
・・・・え〜〜輪島で震度6.9!!!!
どうりで、一番離れている加賀市でもこれだけ揺れるはずだよ、と納得し、おそらく体感からして震度5はあっただろうかと、心配しながら自宅に電話をかける・・・も、つながらない。何度もかけてもつながらない。
携帯電話の回線がパニックになっているようだ。
次の公務があるので、10時過ぎには加賀市スポーツセンターを出発して金沢に戻る。
北陸高速自動車道は平穏であるが、ラジオニュースを点けると、能登は大変らしい。
能登海浜道路が崩落や陥没のために分断されたり、がけ崩れも数箇所とか、けが人が多数いるらしいとか、断片的に被害の状況が報告される。
過疎地域であるがゆえに、情報の把握に手間取っているらしい。
言うまでもなく馳さんは議員である、地元で災害があったとなれば陣頭指揮や政府との連絡で大変。
それの対応をしながらも、キャンセルできない予定をこなしていく。
同じ日の午後の様>
前[P.1/2]次
<コメント>
コメントなし
Prev: ドラゲー ・新井健一郎、プロレスラーとして過去最大級の修羅場を経験
Next:ロレンゾ氏が PRIDE の新オーナーに〜さらばDSE
HOME