ジョン・テンタ さん死去
(06/10 全日本プロレス)
▼全日本プロレスでデビュー▼

 ジョン・テンタ選手が“膀胱がん”で亡くなった。42歳。まだまだ早い。

 一部で白血病を死因とする報道もありましたが、“がん”が正しいようです。

ジョン・テンタさん死去 [ デイリースポーツonline ]

大相撲の力士からプロレスラーに転向し、日米マット界で活躍したジョン・テンタさんが現地時間7日、カナダ・バンクーバーの病院で死去した。享年42。WWEは「膀胱(ぼうこう)がんとの長い闘病生活の末、この世を去った」と公式HPで死因を発表した。

 ニッカンには天龍のコメントあり。
大相撲から転身し活躍したテンタさん急死 [ nikkansports.com ]

 同じ大相撲出身の天龍源一郎(56)は「若すぎる。いつもニコニコと人懐っこい笑顔が忘れられない」と突然の訃報(ふほう)を信じられない様子。全日本時代からつながりが深い。天龍が91年にWWFに遠征した際には、既に一流選手の仲間入りをしていたテンタさんが身の回りの世話を務めてくれた。レスラー仲間にも「オレの大相撲の先輩だ」と紹介するなど敬意を持って迎えてくれた。逆に天龍も92年にテンタさんとWWFの契約が切れると真っ先に声を掛けてSWSに参戦させるなど気に掛けていた。
 天龍は「7月27日のWAR復活大会にも呼びたいと話し合っていた。本当に寂しい」と無念そうに話した。当日は追悼の10カウントゴングなどのセレモニーも考えるという。
 テンタ選手がデビューした頃の全日本マットは天龍革命真っ盛り。
 相撲出身者を“カワイガル”ことにかけては他の追随を許さない天龍、横綱・輪島をはじめ、田上や高木功はボコボコにしまくったものの、テンタだけは力負けせず、おびえることなく堂々とやり合っていたように記憶しています。
 天龍がテンタをブレーンバスターで投げきって話題になったこともありました。

 テンタさんのプロフィールはこちら。
 ニッカン&02年のゴング名鑑、更に私の記憶から付け足し。

ジョン・テンタ(アースクェイク・ジョン・テンタ)
1963年6月22日生まれ 196cm 158kg カナダ出身
昭和62年5月1日、G馬場とのタッグでR木村&鶴見五郎組でデビュー。

 85年に大学を中退して佐渡ケ嶽部屋に入門。琴天太、琴天山のしこ名で各段で優勝し、将来を期待されたが、87年に故馬場さん率いる全日本に電撃入団。
 89年にWWE(当時WWF)入りして“アースクエイク(地震)”テンタと名乗り、90年代はWWEで活躍。ホーガンとも抗争した。倒れた相手の周りを飛び跳ね、リングに地震を起こしてから放つヒップドロップ(アースクェイク・ドロップ)がフィニッシュホールド。
 94年にWWF離脱、「シャーク」の名前でWCWに移籍するもパッとせず。
 90年代後半にはWWFに戻り、マスクマン“ゴルガ”に変身、怪奇派軍団オディティーズの一員としてリングでダンスを披露した。

 海外で活躍する間にも、何度か日本マットに登場。
 1991年、SWSで北尾光司とシングル連戦(東京ドーム〜神戸ワールド)、神戸大会では“勝手に”北尾がブチギレ、「この八百長野郎」とマイクで理不尽に罵られる。
 UWFインターではベイダーとのタッグで大阪城ホールのメインに出場(対戦相手は山崎一夫&オブライト)。
 1996年にはWAR・両国大会で北尾と再戦(シングル)。マスコミは「何かが起こる!」と煽りまくったが、実際はまったく普通の試合に終わっている(北尾が勝利)。
 そのほか、新日本プロレスにも参戦。

 00年に入り、ヨーロッパなどに転戦するも、プロモーターとのトラブルがあったりでプロレスから離れ、しばらく運送業を営む。
 02年になって大量離脱後の全日本プロレスで復帰。天龍源一郎のパートナーとして世界最強タッグにも出場。
 最後の来日は不明(誰か教えて)。
 晩年、動きが悪かったのは事実。ただ、デビュー時はアマレス仕込みのスープレックスやドロップキックも繰り出していた。
 WWFではホーガンと抗争。間違いなく名選手でありました。
 北尾戦が一番印象深いってのが寂しい。

 ご冥福をお祈りします。
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