剛竜馬さん、死去 ※追記
(10/18 インディー)
 ソースは、松永光弘さんmixiと高木三四郎さんツイッター。
 まだ、マスコミでは報じられていませんが、複数の情報が出たので記事とします。

 剛竜馬さんが亡くなりました。
 死因は肝硬変とのこと。
 詳細の発表を待ちます。
 90年代のインディーにどっぷりはまっていた自分にとって、かなり大きな存在です。
 今年に入っていくつかプロレスのリングに上がり始めたところだったのだが・・・。
 残念。

 ご冥福をお祈りします。

※追記
▼藤波辰爾からコメント▼

“プロレスバカ”として一世を風靡した剛竜馬さん死去 [ kamipro.com ]
“プロレスバカ”剛竜馬さん死去 [ angle JAPAN ]
 死因は敗血症と発表されました。肝硬変により誘発される場合もあるようです。

 かつてのライバル、藤波辰爾さんからコメントが出ています。
剛さん訃報に藤波が悲痛なコメント [ 見たくない奴は見に来るな! ]
 一部引用。

 最近は名前もあまり聞かなかったので、気にかける時間もなかった。今、こうやって話を聞くと、エッていう感じ。我々と同世代で、俺がWWWFジュニア王者だった時に闘ったのが一番の思い出。動きもよく熱いレスラーだった。
 藤波さんと闘ったのは1970年代。
 16歳でデビュー。プロレスに一生を捧げた「プロレスバカ」そのままの生き様。

 プロフィールについては多重ロモンチックさんが詳しい。
極太のプロレスバカ 剛竜馬 [ 多重ロマンチック ]
剛竜馬 [ Wikipedia ]
 「ショアー」や「プロレスバカ」は90年代後半の「剛軍団」でブレイクしたもの。
 それより前、パイオニア戦士、オリエンタルプロレス時代は真面目なファイトに徹していた。
 但し、試合もシャベリもどうにも不器用。試合内容というより、その“味”が売りとなっていたのは間違いない。
 おそらく生き方もそのまんまだったのでしょう。ひったくり事件の時も、怒ると言うより心配になってしまった。他に手段は思いつかなかったのか…。ビデオにしても。
 本当にプロレスしかなかったんだろうなぁ、と。

 せめてもの救いは、ここ2・3年、ほとんど名前が聞かれなかったところ、今年に入ってインディー団体でちらほら見かけるようになったこと。
 昨年12月の「昭和プロレス」にレジェンドとして出場。
 今年7月は頑固プロレスも参戦。その後もインディー団体に顔を出し、9月にはユニオンプロレスの後楽園ホール大会に出場している。
 ユニオンの試合は映像で見ました。正直、動きはかなり悪く、体調もあまり良くはなかったように見えた。
 でも、消息不明状態のまま、訃報だけを聞くよりは、復帰のできた今の方が、まだ少しだけ良かったのかもしれない。

 お酒で身体を悪くしていたという話もあります。
 飲むときになぜかジョッキをグルグル回すのが癖。「リングの魂」では無理に飲まされてテレビなのにゲロまで吐いてしまったことも(モザイクかかりました)。
 いろいろ考えさせられます。

 改めてご冥福をお祈りします。

※追記
 10月18日の新日本プロレス・群馬大会で、剛竜馬さん追悼の10カウントゴングが鳴らされたそうです。
<コメント>
コメントなし
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