グレート草津 さん、死去
(06/21 いろいろ)
 国際プロレスなどで活躍したグレート草津さんお亡くなりました。
 享年66歳。
 死因はガンと思われます。

▼週刊プロレスで連載が始まったばかり▼

 ソースは週刊プロレス。

 以前からガンにより入退院を繰り返していたそうです。
@ グレート草津 [ Wikipedia ]

 ラグビーでは日本代表に選ばれるなど一流選手として活躍。
 1965年、23歳でプロレス転向、日本プロレスに入団。マサ斎藤、サンダー杉山らが同期。
 入団して2ヶ月という早さでデビュー。それから1年も経たないうちに日本プロレスを退団、国際プロレスの旗揚げに参加。
 1968年の国際プロレス・TBS中継第一回放送でメインに登場。ルー・テーズのTWWWA世界王座に挑戦するも、3本勝負の1本目でバックドロップを食らいKO。そのまま試合続行不可能となり敗れている。
 この試合は草津を番組の看板にしようと企んだTBSの意向にテーズが逆いKOしてしまった・・・という説がある。このとき、草津はデビュー3年目だった。
 その後も、IWA世界タッグ王座を奪取するなど国際プロレスの中心選手として活躍。
 1981年、国際プロレス活動停止と共にリングを去る。
 引退後は一般企業に勤務。
 ここ3年ほど、肺・食道など多臓器にわたるガンに苦しめられ、入退院を繰り返していたそうです。

 今日のニッカンスポーツには闘病する草津さんの記事が偶然にもupされていました。
@ グレート草津がん闘病、昨年5月緊急入院 [ nikkansports.com ]


 週刊プロレスでは、息子の2代目グレート草津(元K−1選手)さんの連載が始まったばかり。
 「親父の目の黒いうちに、足跡を1つの形に残しておきたい」との願いで始まったのですが・・・残念です。
 今週の号が3回目。
 ひじょうに内容は興味深い。

 幾つかエピソードを紹介。

週刊プロレスより
@まさに屈強な九州男児そのもの。何事においても「筋」を重んじ、曲がったことは認めない。

@親に返事する時は「うん」ではなく「はい」としつけ。しつこい訪問販売を一喝。

@ラグビー時代、本場ニュージーランドでスカウトされ現地チーム入りを考えたが・・・それまで育ててもらったチームや日本ラグビーに義理を立て諦める(野茂・イチローになりそこねた)。

@ラグビーからプロレスへ転向した理由は「務めていた会社(八幡製鉄)への不満」と「“世界”への憧れ」・・・ではないか、と息子さんは語る。


 一番驚いたエピソードはコレ。

 国際プロレスに移籍、海外修行へと出た草津は、カナディアンフットボールのプロ球団「ブリティッシュ・コロンビア・ライセンス」のキャンプに参加。
 試合には出場しなかっったが、入団テスト合格の際には外伝も流れた。

 プロレス修行と並行して、プロのフットボールチームに所属した。しかも将来のエース候補とはいえ、当時は新人ですからね・・・。
 国際プロレスはやることが斬新。

 この連載はぜひとも完結させて欲しいです。

 ご冥福をお祈りします。
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